絵を描くマロンおじさん

メインはカレンダー通りの勤務でパート、副業が絵。これを反転させるたいマロンおじさんの奮闘記。

ドレーン装着で2週間自宅療養していた時のお話

こんばんはマロンおじさんです🌰

いつも見にきてくれてありがとうござます。

さっそく昨日の続きです、お読みください。

 

手術から一夜明け、クリニックが開く前の早朝に退院しました。

家までは半蔵門から1時間ちょっと電車に乗ります。

改めて着替え始めると「これで帰るのか…」と戸惑ってしまうような姿でした。

術後に出る体液が溜まらないよう胸の中から脇の下へチューブが伸び出て、ドレーンという円盤型の容器に体液が流れこむものを左右の胸の前に装着しているからです。

季節は秋、上着を着ても見た目やっぱりちょっと変でしたが仕方ない。

クリニックを出ると奥さんが待っていてくれて一緒に歩き始めました。

そしてすぐに気づきました「この人は容赦ない」と。

 

奥さんは自分の歩くペースが早いことに気づいてない、甘やかしてほしいとまでは言わないが僕は昨日手術をした身、どうしてそんなに早く歩けるものか。

一歩一歩踏み出す度にその振動が胸に響いて若干痛むし息切れもする。

なのでもうちょっとゆっくり歩きたいと言うが、しばらくすると元の早さに戻って先に歩いて行ってしまう。

僕は必死で歩いたのを覚えています。

 

ドレーンを取るのは二週間後でした。

寝て食べて起きての繰り返しですが、奥さんが仕事に行っている間に僕は料理と洗濯以外の家事、掃除機をかけたり食器を洗ったりもして過ごしていました。

やはり奥さんは僕を術後の人扱いしませんでした。

確かに病気ではない、だがしかし両脇からチューブが出てますし、ドレーン装着と胸部の圧迫固定バンドとやらを巻いて身動きしづらいし少しは痛む。

例えば食事時に飲み物を別の場所に忘れて来た時などは「取ってきて欲しい」などと言いづらい雰囲気、とかそんな程度のことですが、そうやって普通の状態の人と変わらない扱いをされる事に若干の不満はありましたけど、「なにくそ」と勝手に思い、なんとか必死で過ごしていたのを覚えています。

 

ドレーンと圧迫固定バンドが取れてからの胸は内出血の跡が痣のように何箇所もあり、全体的に凹凸がありボコボコして歪んでいました。

僕は歳とってるので再生が遅く、滑らかな胸になるまでは一年くらいかかったかと思います。

先生曰く20代の子たちはすぐ元に戻ると言っていました。

それに腹の肉、多めなんじゃな〜い?ツンツン、クイッと腹肉をつままれたりして。

なるほど若者とはそういう違いがあるのね〜と思い、腹の肉の件もあり悔しいので胸の傷跡が治った頃から胸筋メインで筋トレをやり始めました。

 

〜子宮卵巣摘出手術へつづく〜

 

LINE絵文字ウサギのヴァネッサです。

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耳が大きいため顔が他のキャラより小さくなる。いっそヴァネッサの絵文字はやめようかと思ったけど諦めませんでした😁

どうにかなった笑

 

では、今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

また明日〜そして良い夜を✨

 

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