こんばんはマロンおじさんです🌰
今夜は自分史に書いた、僕が鬱病と診断された時、かれこれ26年前のお話を書きます。
ではちょっと長めですが、どうぞ読んでください。
僕は性別違和を人生で度々感じてきましたが、男性になるなんて物理的に不可能だと思ってましたので女性の中で女性として生き、女性の友達たちと一緒に人生の大半の時間は楽しく過ごしていました。
でも恋愛をしてしまうとガラリと一転し、たちまち人生は生きづらいものになってしまいました。
最初の恋愛は22歳の時でした。
「結婚して子供が欲しいから」この関係はずっとじゃないと言われ、その上で付き合いましたが1年経ち相手に彼氏ができて別れました。
それだけでもだいぶ辛かったのに更にバイト先で客に「あらヤダ、男かと思ったのに、紛らわしい、へえ〜」と上から下まで舐めるように見られたのをキッカケに僕は急速に病んでいきました。
バイト先はTシャツやジーンズを売っているお店で、店員もTシャツにジーンズ姿でOKでした。
それまで彼女がいたという事もあり僕のボーイッシュ度は高めだったと思います、なので自業自得の結果だったと今はそう思えます。
バイト先で客に言われた事が引き金になり何をしていても、どうして自分は男性じゃないんだ、男性に生まれて来たかった、どうすればいいんだ、どうにもならない、助けて欲しい。
そんな取り留めのない考えが繰り返し止む事なく頭の中で充満し、本当に大音量で鳴り響いてました。
もう何も考えたくない、頭の中の声を止めたいと思ってか、家にあった色んな種類の風邪薬を10錠くらい一気に飲んでしまい救急搬送されました。
脳の表面が電気をかけられたようにピリピリ痛くなり、頭を抱えて母親の元に行きました。
「あなた!救急車!明美が死んじゃう!」と言う母の声が聞こえたのを覚えています。
死ぬつもりはなかったと思います、ただ、頭の中で鳴り止まないうるさい声を止めたかった。
辛いという事を誰かに理解してもらって助けてもらいたかったんです。
そして僕は鬱病だと診断され精神科に半年ほど通いました。
こんな事をしてしまった訳を親に話さなくてはいけなくなり「自分は女性を好きになる」と言うと父親は「お前をそんな変態に産んだ覚えはない!」バン!とテーブルを叩いて言いました。
精神科で処方された薬は母が管理して飲む時に渡してもらう形でした。それは僕がまた大量に薬を飲んでしまわないようにです。
精神科の先生は痩せたお爺ちゃんでした。
当時僕は自分はレズビアンだと思っていたのでその旨を話すわけなんですが、ただただ僕が話をするだけでそれに相槌を打たれるだけの時間だったと思います。
自分で同性愛者だと言ってしまったからだとは思いますが、この先生からGIDの話を聞くはありませんでした。
薬は飲むとボーッとしていたようです。
何日もひたすら寝て過ごしていた気がします。
どれくらい経ったか覚えてませんが、何も連絡がない事を不審に思った高校の頃の女友達が僕の母から事情を聞き出し積極的に外へ連れ出してくれるようになりました。
彼女には高校の頃にカミングアウト済みでした。
最初に彼女と会って色々と話をしたら、外で周りに人が沢山いるのに気付いたら嗚咽するほど泣いていました。
それを見て「私が毎日会って話聞くからもう鬱の薬なんか飲むのはやめなさい。」と言ってくれました。
それから僕は薬を飲むのをやめ、ほとんど毎日彼女と一緒にカラオケに行ったりビリヤードをしに行ったり、彼女に会って話を聞いてもらう方が精神科へ行くより断然早く元気になっていきました。
精神科に行くのをやめた最後の日のお爺ちゃん先生の姿を覚えています。
その日はやけに混んでいてやっと順番が来たので話をしましたが、ハゲた頭からは汗がにじみ僕の話にうなづいてはいるけど、どこか心ここに在らずという感じがしました。
もう、ここに来る必要は無いと思った瞬間でした。
ちなみに僕が男になってからこの時の話を両親とする機会がありましたが、驚いたことに父は「そんなひどいこと言ったっけなぁ」と覚えていませんでした。
僕自身も「自分史」を書くまでは思い出す事もないほど昔の話になっていましたが、改めて心配をかけた両親と友人には本当に感謝です。
繋ぎ止めてくれたこの命を大切にしたいと思います。
あの時死なず、生きて男になれて本当に良かったです。
〜つづく〜
LINE絵文字まだ作成中😅!
救急搬送という事でリュンヌくんも驚き顔にしました😉
絵文字はあと12個ほど描いたら終わりです。
もうちょいですね😤頑張ります🎵
今日も最後まで読んでくれてありがとうございました。
ではまた明日、良い夜を✨
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