こんばんはマロンおじさんです🌰
今日も一日お疲れ様でしたー。
そして見に来てくれてありがとうございます。
エッセイを書き始めて23記事目の今日はラストエピソードにしたいと思います。
この23記事、奥さんとの出会い〜GID治療の手前までは『エッセイ、女性だった頃編』というカテゴリーを作って振り分けてみました。
今後はカウンセリング〜性別変更、結婚して子供を持つ父親になったお話や、トイレ、温泉、プールなどのお話しを書いていこうかなぁと思っています。
では最後のエピソードお読みください。
いざ、両親にカミングアウトです。
どうやって話し始めたかは思い出せませんが、よし!と、勇気を出して電話したことは覚えてます。
電話には母が出ますので母に伝え、母が父に話すスタイルです。
確か最初は否定されて終わったと思います。
なので僕はきっと感情的になったと思います。絶対に理解してもらわないと困る、そうでないと気が済まない!というような強い意志と感情で母と向き合ったような気がします。
しばらく経ってから治療のことをちゃんと詳しく聞かせなさいという連絡があったと思います。
そしてカウンセリングで本当にGIDだという事がわかるまではお父さんお母さんも信じないでいます、と言われたような気がします。
8か月か9か月後ぐらいだったでしょうか、カウンセリング期間が終わり僕は正式にGIDという事になりました。
カウンセリングが終わると次はいよいよ男性ホルモン注射の治療が始まります。
カウンセリングがあった日には毎回、今日はこんな内容だったなど母に連絡していたと思うので、正式にGIDだというのがわかる頃には母もきっとそう診断されるだろうと思い始めていたように思います。
長く設けられたカウンセリング期間は本人がGIDかどうかを確かめるだけでなく、家族にとってもこういう事実を受け入れる為の心の準備期間でもあるなと思いました。
しばらくして僕は早速改名する事を決めました。
すると母から「明美(あけみ)」は読み方を変えれば「明美(あきよし)」って読めるのよ、「あきよし」にしたらどう?あなたが他の名前に決定しちゃう前に急いで言わなくちゃと思ってね、と慌てて連絡をくれました。
人生で2度目の名前も母に決めてもらえた事は本当に嬉しかったです。
僕は幼稚園に行くのを嫌がる子供でした。
毎朝泣き叫んで制服のスカートを履くのを嫌がりました。
母が力づくで僕に制服を着せ、そして引きずられる格好でバスに乗せられていた記憶があります。
小学生の時の体育も、プールも、ブルマや水着が嫌で出来る限り休めるように仮病を装ったりしていました。
↓これは幼稚園の頃くらいの写真かと思います。
このころの僕は写真で必ずと言っていいほどウルトラマンなどのヒーローのポーズを取っています。
よく見たら後ろの石に刻まれた漢字の中に「男」というのがあります。
なんだか未来を予知していたかのようですね。
現在父は89歳、母は83歳で今も元気です。
母はこう言いました。
「あなたがこんな歳になるまでお父さんもお母さんも気付いてあげられなくてごめんね。」
まさかそこまでの事を言ってもらえると思ってなかったので驚きました。
なので咄嗟に、人生のちょうど前半が女性で後半が男性で、両方の性を経験できてお得な人生だと思えてるから大丈夫だよ、と言いました。
あらそう?ポジティブね!良い事。と母。
母からこの言葉が聞けて、わかってもらえた事の確信が持て僕は嬉しく思いました。
そりゃ若いうちに気付いてもらえていたら一番良かったんだとは思います。
でも、僕は違った。
そして違ったからこそ経験できた数々の感情は、僕だけの大切な宝物なんだと思います。
それに在りたい姿が目前にあるのにどうしてしんみりできるでしょうか。
僕は自分の男性化を今か今かと胸を躍らせてました。
こうして、父と母に理解してもらうことができて僕は幸せです。
この2人の子供として生まれてきて本当に良かったと、
いつも心からそう思っています。
〜おわり〜
今日はこのお話のみで終わりにしようと思います。
今回のエッセイも、今後書いていこうとしているエッセイも、いずれ必ずエッセイ漫画として実現させる、それが僕の夢です。
僕が夢を叶えられる時をあなたに見届けてもらいたい、そう思いながら日々コツコツ頑張ります。
改めて、これからもよろしくお願いします☺️
では、いつも最後まで読んでくれてありがとうございます。
また明日も見にきてくださいね。
良い夜を✨
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